プロジェクトストーリー

地震だ!
そのとき旧清掃工場が
再稼働した

東日本大震災の震災ごみの処理

INTRODUCTION

2011年3月11日。宮城県沖を震源地とする東北地方太平洋沖地震が起こった。この地震に関わる災害を総称して「東日本大震災」と呼ぶ。
 太平洋沿岸地域は津波によって浸水し、広範囲にわたって津波の被害は拡大。水道・ガス・電気のライフラインは止まり、物資を運ぶ陸路も地震によって道が崩壊し、街中には「震災ごみ」と呼ばれる瓦礫(がれき)が山となって、街や人々の暮らしの復旧に大きな影響を与え続けていた。

このプロジェクトストーリーでは、この震災ごみの処理に関わったNSESの活動を振り返る。一度閉鎖させた、岩手県釜石市のシャフト炉式ガス化溶融炉施設に再び火をともすことで、震災ごみの処理の一翼を担った。

日鉄環境エネルギーソリューション株式会社
溶融運営管理部

操業技術室長 岩堀 愛弘

PROFILE

日本全国に点在するガス化溶融炉施設を安全に連続稼働させるための司令塔を担う。東日本大震災後の閉炉活用プロジェクトの際は、震災ごみの解析や効率のよいごみ処理効率化の検討を担当していた。

NSESが震災ごみの
最終処分を担った理由

まず、本題に入る前に、「なぜNSESが震災ごみの処分に関わったのか?」について説明する。

震災時の津波被害に遭った瓦礫は、金属くずやコンクリートがら、海水により水分量も多く含まれているような混合廃棄物である。そのため、現在、日本のごみ処理では一般的な「燃やす」処理だけでは十分に対応できない。

その一方で、NSESが運転しているシャフト炉式ガス化溶融炉は、「燃やす」よりもはるかに高温で運転しているため、ごみを「溶かす(溶融)」することができる。震災時、街にあふれかえった瓦礫や、分別不可能な震災ごみも、この高温還元雰囲気の溶融機能を活用すれば、混入した不燃物も含めて溶融処理することができ、また、発生した溶融物を資源として再利用できるため、災害ごみの最終処分量極小化にもつながる。さらには、ごみ処理時に発生する熱エネルギーを利用し、発電することもできる。

ライフラインが止まってしまった震災時には、ごみ処理とエネルギー活用の双方から大いに期待が寄せられた。

震災が起きたそのとき、
新旧二つの清掃工場があった

日鉄グループが生んだシャフト炉式ガス化溶融炉は、実は、この岩手県釜石市でその第一号が操業開始された。1979年から、約30年以上も釜石のごみ処理を担っている。

その清掃工場(釜石事業所)は、震災が起きる前の2011年1月に閉鎖され、同年3月、同じく釜石市内の別の場所での新清掃工場(岩手沿岸南部事業所)の試運転時に、震災が起きた。
大きな被害に見舞われた釜石市だったが、幸いにも新清掃工場の施設被害は軽く、ライフラインが復旧したあとにすぐ運転をスタートすることができた。これが震災1か月後の2011年4月のことである。

ところが、震災によって街中は災害ごみであふれかえっていた。被災によって、一般ごみの発生は少なくなっていたものの、震災ごみは前例のない量である。一般ごみと震災ごみを同じように処理しようと試みたが、到底処理できる量ではなかった。そのために、一度閉鎖した旧清掃工場を再稼働させるプロジェクトが発足した。
古い清掃工場のため、整備が必要だったが、再稼働のために全社をあげて取り組んだ。

新清掃工場「岩手沿岸南部クリーンセンター」

旧清掃工場「釜石清掃工場」

現場と本社、
それぞれの対応とは

釜石市の震災ごみの処理をするにあたり、震災ごみは一般ごみと性質が異なるため、操業技術の担当者は「震災ごみの処理方法」を一から検討することとなる。
本社で分析を行い、その結果を新・旧の清掃工場に伝達する。本社から人を派遣して、清掃工場で溶融炉の動きを見ながら対策を練ることもあった。

はじめに取り組んだことは、ごみの全体量の把握である。震災ごみの規模を理解していないと、長期的な処理計画や整備計画を立てることができないためだ。一般的な清掃工場の場合、その地域の人口や過去の排出量から、年間のごみの総量を算出していくのだが、震災時はそうはいかない。この時にわかったごみの量は総計約44万t。新清掃工場では、釜石市に加え、陸前高田市、大船渡地区、大槌町から60t/日のごみを受け入れる。ごみの内容は、震災ごみと家庭ごみの両方だ。

旧清掃工場では、約2年間の稼働期間で約6万tの溶融処理を担うこととなった。こちらの内容は、処理困難な震災ごみ100%である。
この時に、NSESの本部デスクでは、震災ごみは大きいものから小さいもの、岩や砂も混ざっているためにある程度種類を分けて処分することで安定した処理を目指した。

また、ごみにどのような成分が含まれているのかも検討材料の一つとなった。現場から持ち帰った震災ごみの分析データは、ごみの熱量や水分、灰分、ごみを処理する際に使用するコークスや石灰石などの資材がどれだけ必要なのかも、効率よく処理を行う上で必要な情報である。

復興のために、定年退職した
オペレーターも再集結する

旧清掃工場を稼働させるにあたって、人材の確保は大切な要件となっていた。NSESが操業をするガス化溶融炉は高いオペレーション技術が必要なため、入社してすぐに対応することは困難である。

そのため、NSESでは一度定年退職した人材を招集して、再度現役復帰してもらうことで対応。現地で暮らしていたスタッフたちは、使命感に駆られて来る日も来る日も震災ごみの処理を続けた。

NSESの本社では、効率的なごみ処理のためのロジックは立てているものの、本当にうまくいくかどうか未知の世界だった。不安と隣り合わせで分析を行うなかで、0から少しずつ経験値が蓄積されていくことが自信となった。

そこで働く社員たちも、身近な人が被災しているケースが少なくない。美談に聞こえるかもしれないが、震災直後に釜石の清掃工場で働いている以上、震災ごみが少しずつ処理されていることはそこで働く社員たちの生きるモチベーションにもつながっていったのではなかろうか。

ごみ処理に携わることは復興と直結している。街のなかの瓦礫や震災ごみが無くならなければ、いつまでも震災の傷跡が目に見えるところにあるからだ。ごみが無くなることは、街の復興が進むこと。我々は目に見える復興の一翼という重責を担っていたのである。

震災ごみからの
再利用

震災ごみから生まれたスラグ。このスラグは、コンクリートの二次製品やアスファルト骨材などに再利用されている。ごみからサステナブルな暮らしを支えている。

おわりに

2014年3月に閉所するまで、旧清掃工場は処理困難な震災ごみを処理し、ガス化溶融炉による災害ごみ処理の知見を深めてきた。
この経験により得られたノウハウは、その後に発生した九州北部豪雨や熊本での震災などの災害ごみ処理でも生かされ、これまでのNSESの災害ごみ処理実績はおよそ15万トンにも及ぶ。

災害は起こらないことを祈るばかりだが、万一起きてしまったときの支援策を考えておくことが二次災害を最小限に抑える意味で大切だ。NSESは、日常業務のごみ処理はもちろん、そこから広がって災害ごみ処理という困難なフィールドで社会に大いに貢献できる。
またガス化溶融炉の特性から、災害による電力の逼迫時には、電力供給ができる発電施設として各地域の防災拠点としても役割を発揮する。
こうやって、これまで着々と災害ごみ処理の経験を積んできたNSES。自然災害の多い日本において、災害ごみ処理はもとより、災害復興支援のトップランナーといっても過言ではない。